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株式会社ビッグフット くんぺい事業部

辻 仁成  Tsuji Hitonariprofile

真直ぐな魂

 君平さんは星になったんだと思う。

 君平さんが、亡くなった日、僕は東家へ向かう車の中で、そんなことを考えていた。君平さんは星になるしかなかったのかもしれない。今、改めて彼の作品を読み直して、僕はふとそんな風に思った。

 生きるということの人間としての試練の中、童心を捨てなかった一人の詩人の、魂の決断であったような気もする。

 詩人にとって、この地球の重力は重た過ぎたのだ。君平さんはでも、真直ぐに歩いていらした。普通だったら、もぐってしまうところや、曲かってしまうところも彼は、道をそれたりしなかったのだ。それは作品の中に生きている。誰よりも純粋に紡がれた彼の創作の中に生きている。

 君平さんの作品は、だから、真直ぐにしか読むことができない。斜め読みをすることはできない。逃げ腰で読むこともできない。いい加減に目を通すこともできない。投げ遣りな気分で見ることもできない。疑った気持ちで見ることもできない。ずるい気持ちで見続けることもできない。真直ぐな気持ちでしか見ることはできないのだ。いや、どんな気持ちの人も、読んでいるうちに、読み進むうちに真直ぐな心に変えてしまう力がある、と言った方がいいのかもしれない。

 真直ぐに生きた君平さんの作品には、裏がない。だから、説教もなければ、教訓もない。素直な思いだけが、連なってできているのだ。素直という字が、素という字と、直という字でできているように、彼のその魂も、真直ぐで美しい。
 だから僕は、昔、ほんの一時期、君平さんの作品を見ることができなかった。僕の心が余りに、愚れていた時期のことだ。愚れていた、という表現は少しおかしいかもしれない。卑屈になっていた、と言った方がいいのか。そうだ僕は、卑屈になっていた。

 卑屈になっていた僕は、だから君平さんの作品を見る勇気がなかったのだ。本を開けば自分のその歪んだ心も洗われると、知っていながら、僕はそうすることができなかった。僕はすごく辛かった。君平さんの作品から、逃げるように生きていたのだ。

 僕はその頃、一人で暮らしていた。都会のビルに囲まれた、古いアパートの一室だった。ギスギスたった、僕の魂は。もう夜には、魂が餓死してしまう存在だったのだ。僕は卑屈に生きていた。全てがうまくいかなくて、不貞腐れていたのだ。じめじめした部屋に籠って、誰とも会わないようにしていた。もちろん、東家にも顔も出さなくなっていた。もし君平さんと玄関先やリビングでばったり出会ったりでもしたら、卑屈な僕はねずみのように、すーと下水に逃げ込むしかなかったからだ。

 とにかく、僕は毎日、塞いで暮らしていた。僕にはチャンスは巡ってこない、と、人一倍不貞腐れていたのだ。僕の創作活動は、頭打ちの状態だった。それが、何年も続いていたのだ。二十代の前半のことである。もう、僕は失格人間だと考え始めていた。

 そんなある日、僕は、這うようにアパートを出て本屋へ行った。歩いていながらも、今にも、地面に沈んでしまいそうになりながら。

 そして僕は、久し振りに、君平さんの本と出会ったのだ。一般書のコーナーに、誰かが間違えて入れていたのだろう、君平さんの一冊の本が外国文学のコーナーの、それも僕の目の高さのところにあったのだ。まるで僕を呼ぶような格好で、分厚い書物の間に挟まっていた。

 僕は、その瞬間、観念してしまった。溜息を一つついて、僕はその本を、そこから引き抜いたのだ。そして、ページをめくった。君平さんの絵と文は、しかし、優しかった。いままで誰かにあんなに優しい気持ちにさせられたことはない。空腹な時に差し出されたパンのようなものだろう。僕はそれをパクパクと食べてしまった。食べながら、泣いたかもしれないが、そんなことはどうでもいいことだった。僕は気がついたら、無償に真直ぐに君平さんの本を読んでいたのである。

 君平さんの本は、誰もが、そっと、真直ぐに読めるように書かれている。しかしそれは作為的ではなく、自然なのだ。君平さんの生まれ待った力なのだ。その後、僕が何度も君平さんの本に助けられたことは言うまでもない。君平さんの作るメルフェンは、大人から子供まで、人を真直ぐにさせる不思議な力に満ちている。

 晴れた日の夜、僕はベランダに出て、星を見ると、生きて
いた頃の君平さんの優しい横顔を思い出すことができる。

 そして星は、どんな夜だろうと誰の上にも平等にその光を、投げかけるのである。



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敬称は省略させていただきました。